未解読文字「契丹文字」



2014年8月21日

東アジアの歴史を解く鍵、契丹文字

契丹とはキタイとも言い、4世紀~14世紀の間中央アジアに存在した民族の名称だ。契丹人は10世紀、中国北部に遼(916~1125)という国家を建国した。遼では漢語と共に契丹語を主要言語として用いていたが、その契丹語を記した文字が「契丹文字」である。

 契丹文字に関する資料は絶対的に少なく、解読はほとんど進んでいない。紙の資料はほぼ存在しておらず、ほとんどが石刻資料からの解読により調査を進めるしかない。契丹文字は以上のような資料面の制約により、いまだ十分な解明には至っていない。

 これまで契丹人の建設した国家である遼の歴史は、ほとんどが中国の歴史書である『遼書』に基づいてた。しかし、外国の目線から編纂された『遼書』には多くの錯誤や作為が含まれるとされている。遼の国についての真実の歴史を知る鍵こそが、契丹文字なのだ。
この契丹文字が解読されることで、中央アジアから中国北部までを広く支配した強国であった遼の歴史が解明され、さらには中国を含むその周辺国家の歴史まで揺るがしかねないと言われている。

契丹文字の起源

成立年代

 『遼史』では遼の建国後、西暦920年に耶律阿保機が契丹大字を創案したとされる。また同書の内容によると、その後、924年(又は925年)に耶律阿保機の弟である耶律迭剌がウイグル文字を参考にして契丹小字を製作している。
 さらに、女真族の王朝である金が1191年に契丹文字の使用禁止を法令により定めたと、『金史』にある。ここから、遼が滅びた後もしばらくの間は契丹文字が使われていたことがわかる。

表意文字である大字、表音文字を兼ねた小字

 契丹字には、契丹大字と契丹小字の二種類がある。
 大字は遼建国の太祖である耶律阿保機の創案で、隷書漢字の画数の増減により作成されたシンプルな文字である。錦西石刻契丹字のような、漢字の借用や画数の変化による簡単で整ったものが、契丹大字だ。
 小字は耶律阿保機の弟である耶律迭剌が製作した。迭剌は生まれつき聡明で、ウイグルからの使者が遼を訪れた時、遼にはウイグル語を話せるものがいなかったが、迭剌は20日間でウイグル語を習得してみせた。その後、ウイグル文字を元に発明したものが契丹小字だと言われている。
 小字の特徴は複雑で、2~7個の字を複合した複合字といわれる表記体系をもち、契丹語の表音文字の役割も兼ねているとされる。

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現在読み方の推定がなされている文字は、契丹小字では全体の6割、契丹大字においてはたった188字しかない。
契丹語は死語となりほど遠い歳月を経ているため、音韻構造に不明が多く、その点も研究の難関となっている。漢語と契丹文字を併記した文書は見つかっているが、その数はおおくなく、解読は難航している。
今後、遼を滅ぼした女真族が契丹文字を元に制作したとされる「女真文字」との比較が研究の進展に貢献すると期待されている。
契丹文字の解読は、中国を含む隣接文化圏全ての歴史研究に影響を与えるだろう。

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未解決度指数

Summary: 歴史的な文字であり、多くの学者が研究しており、研究の信憑性は高いものとなっている。未解決期間は極めて長く、文字が消えてから既に800年以上経過している。そのため解読の糸口も少なく、未解決度も高い。謎が解けた時の影響は東アジアの歴史に大きな影響を与えるだろう。

4

ポイント
信憑性
未解決期間
未解決度
謎が解けたときの影響
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