聖徳太子の地球儀に書かれている謎の大陸「メガラニカ」とは何か?



2014年8月22日

6世紀、聖徳太子が日本を収めていた時代、東アジアでは世界が地球と言う“球体”であることはまだ知られていなかった。だが、聖徳太子はどうやらその真実を知っていたようだ。

兵庫県にある聖徳太子が開いた寺院、斑鳩寺。西暦606年に建立されたというこの寺には聖徳太子とゆかりのある宝物が所蔵されている。その宝の一つが、聖徳太子の地球儀・地中石である。

漆喰と海藻糊でできたこの地球儀には、アジアやアフリカ、ユーラシア大陸などはもちろん、アメリカ大陸までが正確に記されている。レリーフのように、陸地を盛り上がったように、そして海の部分をへこませて表現しており、全体は球をなしている。その当時は、地球が丸いという事実さえ知られていなかった。いったいどのようにしてこの地球儀は作られたのか。

さらに、太平洋と思われる場所には、12000前まで存在したと言われるムー大陸が、そして南半球には「黒瓦臘尼加(メガラニカ)」という大陸が記されていた。

聖徳太子の地球儀の真実とは?

メガラニカとは何か

t02200152_0800055112544532840メガラニカとは、マゼランの名前にちなんだ仮想の大陸である。まだ世界の地理が明らかになっていなかったころ、ヨーロッパやアジアなど、北半球の大陸のみが知られ、南半球についての地理的知識が徹底的に欠けていた。そのため当時の人々は想像により南半球の空白を埋めた。それこそがメガラニカの正体だ。
では、なぜ聖徳太子の持っていた地球儀にその仮想の大陸が記されているのだろう。

地中石の製作年代

実は、聖徳太子の地球儀は、実際に聖徳太子の時代に存在したものではない。
まずその材質であるが、地中石は漆喰と海藻糊を混ぜて作られている。この技法は戦国時代以降に特有の技術であるとされている。
さらに、その地球儀に記された地形が、江戸時代に寺島良安が編纂した日本最初の百科事典『和漢三才図会』に載っている「山海輿地全図」一致している。そのため地中石は、江戸時代半ば、西洋より伝来した地理的な知識に基づいて作られたものであると推測されている。

謎のムー大陸

Book_map1では、ムー大陸と思われる位置にある、謎の大陸の正体はなんなのだろうか。地中石を見ると、日本列島から下へ連なってゆく東南アジアの島々が本来の位置に存在しない。そのかわりかのように、より東にムー大陸のような大陸が描かれている。つまり、実はムー大陸かのうように見える大陸は、フィリピンやインドネシアの島々をくっつけ、実際より東へと配置を変えデフォルメさてた結果なのだと思われる。

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以上のように、聖徳太子の地球儀は、聖徳太子ゆかりの寺に納められてはいるが、製作年代は江戸時代だというのが現在では最も濃厚な説となっている。
しかしその製作理由や、なぜ斑鳩寺へと所蔵されたか、またその名前の由来など明らかになっていないことも多い。

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未解決度指数

Summary: 既に検証がなされ、成立年代は江戸時代と想定されており、その仮説の信憑性は高い。 しかしなぜ斑鳩寺に所蔵されるようになったか、その過程は明らかでない。 もしも聖徳太子や他の歴史上の人物と関わりがあるのであれば、その影響力は未だに弱くないといえよう。

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ポイント
信憑性
未解決期間
未解決度
謎が解けたときの影響
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