メアリーセレスト号の乗務員はどこに消えたのか?



2014年9月5日

1872年11月5日に、アメリカ船籍の1艘の船がニューヨークからイタリアに向けて出航しました。
船の名は「メアリーセレスト号」。
全長31m、11人乗りの当時良く見られた大きさの船でした。
乗っていたのは船長とその妻と2歳の娘、そして7人の乗務員の合計10人でした。
積荷は原料アルコールでした。

その1ヵ月後の同年12月5日、大西洋上を公開中のイギリス船籍の船「デイ・グラシア号」の船長は、1隻の奇妙な船を見つけました。風がない状態であったにも関わらず、通常右から風が吹いた時にのみ開く右舷を開いたままで帆走していたからです。

デイ・グラシア号の船長はこの奇妙な船に呼びかけましたが、応答はありませんでした。
そして、船体にはデイ・グラシア号の船長も見覚えのある名前が刻まれていたのです。
『メアリー・セレスト号』と。

ooo実は、デイ・グラシア号の船長モアハウスとメアリーセレスト号の船長は友人同士でした。
1ヶ月ほど前にニューヨークに寄港した際には船を隣り合わせに停泊させ、食事を共にするほどの仲だったのです。

咄嗟に、異常事態を読み取ったデイ・グラシア号の船長は、メアリー・セレスト号に近づき、部下の航海士と共に乗り込みました。そこで彼らが見たものは、信じられない光景だったのです。

乗員全てが消失

Tea_and_scones_210人いたはずの乗員の姿は誰一人として見当たりませんでした。
しかし、食べかけの朝食や、湯気がたっている温かいコーヒー、そして沸騰したままになっている鍋すらあったのです。洗面所はたった今まで誰かが髭を剃っていたような様子が見て取れました。

積荷の原料アルコールは、樽の一つからアルコールが漏れ続けていた以外は無事で、1700樽積まれていたアルコールのうち、1691樽は無事であり、6か月分の水と食料も手付かずのまま残されていました。
つまり、海賊などにより積荷を略奪された様子は見て取れなかったのです。

救命ボートが消えていた

船内にのこされていた文書は船長の航海日誌のみであり、最後の記載の日付は11月24日。
ポルトガル領のアゾレス諸島近くの海上にいたと記載されており、翌日には近くの港に到着できる位置でした。
救命ボートは外されており、近くの3つの手すりに謎の血痕が残っていました。

Giant_octopus_attacks_ship
現在もなお、メアリー・セレスト号の乗員の消息は判明していません。
突然船を放棄してまで救命ボートで脱出しなければならなかったのは何故なのか。
本当に彼らは救命ボートで海へ出て行ったのか。
人類とは異なる生物により、突然誘拐されたり、タイムトラベルに巻き込まれた可能性も考えられています。

アルコール漏れ?

1つの考察としては、1700樽のうち、9樽の原料アルコールが空になっていたという事実から推察されます。
9つの樽から同時にアルコールが流出したのであれば、船内の倉庫にはアルコールの匂いと靄が充満し、倉庫のドアを開けたとたんに激しく吹き出したと考えられます。
そのため、乗員たちは船が爆発すると考え、取るものも取りあえず救命ボートで海上へ逃げたのではないかと考えられています。この説は、セレステ号を発見したモアハウス船長も指示しています。

突如として多数の人間が消える、その謎は今もってなお、解決されてはいません。

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未解決度指数

Summary: 当時は大きく新聞にも取り上げられた事件であり、こつ然と乗務員が消え去ったという事でとても謎めいており、現在でも様々なメディアで取り上げられる著名な未解決の事件である

3.3

ポイント
信憑性
未解決期間
未解決度
謎が解けたときの影響
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